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街を彩る看板の物語:進化を遂げた表現の立役者「マーキングフィルム」とは。

街並み サムネイル

今日、街に目を向けるとさまざまな看板があることに気付かされます。賑やかな商店街の軒先から、企業の高層ビルのロゴまで、私たちの日常に溶け込むこれらの看板は、単なる情報伝達の手段としての存在を超え、街の風景の一部となり私たちの日々の記憶にも深く刻み込まれています。皆さんはこの多様な「街の顔」が、どのようにして今日の姿になったのかご存知でしょうか?看板の進化の過程において、その表現力を飛躍的に向上させ、制作効率とデザインの再現性を劇的に向上させた“ある素材”の登場が不可欠でした。それこそが現代の看板には欠かせない存在となった「マーキングフィルム」です。


本コラムでは、日本の看板が歩んできた長い歴史をひも解いていきながら、「マーキングフィルム」がどのように看板の進化に貢献し、今日の豊かな看板文化を形作ってきたのかを、当社(桜井株式会社)の「Viewcal」のご紹介を交えながら詳しく解説します。手書きの時代から現代のデジタル化まで、看板がたどった足跡を一緒に辿ってみませんか?



目次



1.日本の看板文化の黎明期:木と手書きの時代

日本の看板の歴史は古く、奈良時代には既に商店の軒先で商品を示す簡単な「しるし」が使われていたとされています。江戸時代に入ると、商業の発展とともに看板は多様化し、その役割も重要性を増しました。当時の看板は、主に木材を素材とし、職人が手作業で文字や絵柄を彫り込んだり、漆や顔料で描き込んだりするのが一般的でした。蕎麦屋の看板には蕎麦のイラストが描かれ、提灯屋には提灯が吊るされるなど、視覚的に分かりやすい表現が重視されていました。


江戸時代の看板

これら手書き看板は、職人の熟練した技術と芸術性が遺憾なく発揮され、それぞれが一点ものの作品としての価値を持つ、風情あるものでした。

日本の看板は独自の進化を遂げてきましたが、大量生産や多様なデザインへのニーズが高まるにつれて、新たな素材や技術が求められるようになっていきました。



2.明治・大正・昭和初期:金属板とペンキの導入

明治時代に入ると、西洋の技術が導入され、看板の素材にも変化が現れます。金属板やガラスが使われるようになり、ペンキによる文字や絵柄の表現が可能になりました。これにより、手書きの木製看板に比べて耐久性が向上し、より洗練された表現も可能になりました。活版印刷技術の導入により、文字の均一性も向上し、より大量の看板を制作できるようになりました。

大正から昭和初期にかけては、ネオンサインの登場など、光を使った看板も現れ始め、夜間の視認性が格段に向上しました。しかし、この時代の看板も、デザインの変更や修正には手間がかかり、まだ多くの手作業が必要でした。特に、複雑なロゴやグラデーション表現は難しく、色数の制限もありました。


明治・大正・昭和の看板


3.高度経済成長期:プラスチック製品などの新素材の台頭

日本の高度経済成長期は、看板業界にも大きな変革をもたらします。プラスチック製品などの新素材が登場し、看板の軽量化、加工の容易化、そして耐久性の向上が実現されました。これらの素材は、熱成形によって立体的な看板を制作することを可能にし、看板デザインの自由度を大きく広げました。

当時、文字やデザインを施す際には、引き続き手書きや、大量生産に適したシルクスクリーン印刷といった方法が主流でしたが、部分的な修正や内容が頻繁に変更されるような看板においては、制作の手間やコストが大きな課題として残されていました。


高度経済成長期の看板


4.マーキングフィルムが日本の看板文化を革新:表現力と効率性の飛躍

1970年代から1980年代にかけて、マーキングフィルムが日本に本格的に導入され、看板業界に革命をもたらします。マーキングフィルムとは、塩化ビニール樹脂を主成分とした薄い粘着シートです。このフィルムに「カッティングマシン」で文字やイラストをカットし、対象物に貼り付けることで、手軽に看板を作成することができるようになりました。


マーキングフィルムのカストリ





マーキングフィルムによる革新

マーキングフィルムは、看板の表現力と制作効率を劇的に向上させました。主な革新点は以下の通りです。


  • 多様な色と質感

    豊富なカラーバリエーションに加え、マット、グロス、メタリック、透過性など多様な質感の製品が登場し、看板デザインの幅を飛躍的に広げました。


  • 精密なカットとデザインの自由度

    カッティングプロッターの登場により、手書きでは困難だった複雑な文字やロゴ、微細なデザインも正確かつスピーディーに制作できるようになり、企業のブランドイメージの忠実な再現が可能になりました。


  • 制作時間とコストの削減

    手書きやシルクスクリーン印刷に比べ、制作時間が大幅に短縮され、人件費も削減されました。例えば、手書きで何日もかかっていた複雑なデザインが、マーキングフィルムを使えば数時間で完成するようになりました。これにより、小ロット制作や頻繁なデザイン変更にも柔軟に対応できるようになりました。


  • 優れた耐候性

    高品質なマーキングフィルムは耐候性や耐UV性に優れ、屋外でも長期間色褪せや劣化が少ないため、メンテナンスコストの削減に貢献しました。


  • 施工の容易さ

    比較的簡単に施工でき、再剥離糊を使用したフィルムは糊残りが少なく、デザイン変更や撤去も容易になりました。


これらの特性により、看板制作のリードタイムが大幅に短縮され、企業が求めるブランディングへの貢献や、ビジネス展開の迅速化、柔軟なプロモーション活動などに大きく寄与しました。また、大量生産においても安定した品質と効率的な生産を可能にしました。



5. デジタル化の進展とマーキングフィルム:新たな表現の可能性

1990年代以降のデジタル技術の進展は、看板業界にさらなる変化をもたらします。特に、インクジェットプリンターで直接フルカラー印刷が可能な「インクジェットメディア」の登場は、写真やイラストなどの複雑なフルカラーデザインを、鮮明かつ高精細に看板に表現することを可能にしました。

マーキングフィルムのシャープな文字やロゴと、インクジェットメディアで印刷した写真やグラデーションを組み合わせることで、看板は単なる情報伝達の手段を超え、芸術作品や強力な広告媒体としての価値を高めていきました。


インクジェットを使用した看板

また、コンピュータによるデザインソフトウェアの進化も、マーキングフィルムやインクジェットメディアの普及を後押ししました。デザイナーはパソコン上で自由にデザインを作成し、カッティングマシンやインクジェットプリンターに出力できるようになり、デザインから制作までのフローが劇的に効率化されました。デジタル化の波に乗ることで、マーキングフィルムは看板業界の「表現の自由度」を飛躍的に高める基盤となったのです。



6. マーキングフィルムが日本の看板文化に与えた影響

マーキングフィルムの登場と普及は、日本の看板文化に大きな影響を与えました。


  • ビジネス展開の効率化とブランド力向上:

    看板の制作が短期間で高品質に実現可能になったことで、企業は迅速な店舗展開やプロモーション活動を行えるようになりました。これにより、一貫したブランドイメージを効率的に展開することが可能となり、企業の市場競争力を高めました。


  • 街の景観の多様化と魅力向上:

    豊富な色彩と自由なデザイン表現が可能なマーキングフィルムの登場により、看板はより個性的でカラフルになりました。これは街の風景を一層賑やかで魅力的なものに変え、看板が単なる情報伝達の手段を超えて、その街ならではの「個性」や「雰囲気」を形作る重要な要素となりました。


  • サイン制作の間口拡大と業界の発展:

    マーキングフィルムとカッティングマシンの組み合わせは、従来の熟練した手作業に加えて、より多くの人が高品質な看板を手軽に制作できる環境を整えました。結果として、日本のサイン業界全体の市場が拡大し、技術革新のさらなる加速につながりました。



現在、街にはコンビニエンスストアのロゴ、飲食店のメニュー表示、企業の社名看板など、多種多様な看板が溢れており、その多くにマーキングフィルムが使用されています。インクジェットによるフルカラーサインやデジタルサイネージが普及する中でも、マーキングフィルムを用いた看板は、そのコストパフォーマンス、施工の柔軟性、そして高い耐久性から、依然として多くの場面で重要な役割を担っています。

日本の街並み


7.まとめ

日本の看板の歴史は、手書きから始まり、金属、プラスチック、デジタル技術、そしてインクジェットメディアの登場と、常に新しい素材や技術を取り入れながら発展を遂げてきました。その中でもマーキングフィルムは、看板の表現力と制作効率を飛躍的に向上させ、今日の豊かな看板文化を築きあげる上で不可欠な存在となりました。


当社のマーキングフィルム「Viewcal」は、おかげさまで発売から50年以上が経過しました。長きにわたり、日本の看板文化と一緒に歩んでこられたのは、日ごろから「Viewcal」を支えてくださる皆様の存在があってこそだと感じています。


このコラムを通してマーキングフィルムをより身近に感じていただけたなら幸いです。次に街で看板を眺める際には、その背後にある歴史や技術、素材の進化、そして当社の「Viewcal」にもぜひ思いを馳せてみてください。






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執筆者紹介

七里 聡

1993年 桜井株式会社に入社。

自社で販売するシステムのメンテナンス部隊で機械に強くなった傍ら、Illustrator®を駆使して社内外のデザイン業務を担う。現在はソリューション営業部で日々Webマーケティングの勉強をしながらWeb製作に身をささげる。夢はザック一つで日本縦断旅行をすること。


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